高校・大学とアメリカへ留学していました、ゆうたです。
ドナルド・トランプ氏が大統領に就任し、翻訳家/通訳家の人たちの仕事が減りそうなんて話もありますが、今回は「言語」についてのお話です。
言語といっても私が喋れるのは”日本語”と”英語”のみなのでそこを中心に話しますが、海外に7年間暮らしていた元留学生が考える言語論って感じで読んでいただければと思います。
○○語が”喋れる”んだね〜!すごーい!この”喋れる”って正確にはどういうことなの?
よく初対面の人に「海外留学してました」と説明すると「すご〜い!じゃあ英語喋れるんだ!」って言われます。
純粋に褒められて嬉しいと思いながら、英語が喋れるってなに?って思ってしまいます。
英語が”喋れる”のこの”喋れる”ってどの程度”喋れ”たら喋れることになるんでしょうか。
私の世代は中学生から、今では小学生から英語の授業があり英語を学びます。
英会話スクールもたくさんありますし、英語を気軽に喋れる英語カフェなんてものまである時代。
“Hello”とか”My name is…”ぐらいなら誰でも喋れるでしょう(ちなみに実際に海外で”My name is…”っていうことはまずありません)。
それっていわゆる”喋れる”ことにはならないんだろうか?
何を持って”喋れる”というのか。昔からここがずっと疑問でした。
『言語』って所詮コミュニケーションの為のツールでしょ?
英語が喋れるようになってから思うのは言語って所詮コミュニケーションの為のツールだよってこと。
伝わりさえすればそれで十分”喋れる”ってことになるんじゃないかなぁ、と。
こういうこと言うと「それは君が英語喋れるから言えることだよ」とか言われますが、本当にそうですかね?
日本人の英語への苦手意識は高いとよく言われますが、個人的に思うのは日本人は外国慣れしてなさすぎが理由だと思ってます。
英語を喋れる時も発音とか文法とかめっちゃ気にして喋るじゃないですか。
でも今話題の米国大統領なんて文法めちゃくちゃですよ。
超EASY English。
このEasyさは翻訳家とか通訳家の人たちが頭を悩ませるほどです。
発音にしたって、New Yorkのタクシー乗ったらめちゃくちゃ訛りのある英語を喋るドライバーだらけですよ。
しかもその訛りがわからなくて「もう一回ゆっくり言ってくれる?」とか言ったら満面の笑みで「OK!」とか言って同じスピードで喋りますからね。全然OK!じゃねえよ、と。
日本人は英語だけじゃありません、自分たちが話す日本語でも完璧を求めます。
これはうちの会社の話ですが、インドネシアの研修生が「日本語聞くのはだいぶ慣れたけど喋るのが難しい」って言ってたので「話さないと上手にならないよ。とりあえず下手だと自分で思っても話してみることが大事だよ」って教えてあげたら、「話した後に通じなくて周りの人たちに”は?”って言われるのが怖い、嫌だ」って言うんです。
これ良くないですよ。寛容さが無さすぎる。
とりあえずその研修生には
「”は?”って言われても気にするな。
それは聞き取れない相手が悪いぐらいに思ってたらいいよ。
そもそも君はすでに2ヶ国語喋れるわけだから君の方がすごいんだよ、自信持ってどんどん喋るといいよ。その方が上達も早いし」
って伝えておきました。
他にも少し前に話題になった某企業の社内では全部会話は英語にしろ!みたいなのも疑問です。
何度も言いますが言語って所詮ツールに過ぎないと思うんです。
大事な事はいかに相手に伝えるか、相対的なコミュニケーションが取れるかであるから社内共通語は英語!とかいって日本人同士でも英語を喋らなきゃダメ!という強制ルールの意味がわかりません。
その会話の場に海外の方で日本語が喋れない人がいた場合は日本人同士でも英語で会話する必要があります。
でも日本人しかいない状況でも英語しゃべれ!とか必要あるの?それって何の為?と思ってしまいます。
大事な事は『言語』が喋れることではなく、相手にいかに自分の気持や思いを伝えるかじゃないの?って思います。
結論っていうかまとめ
少し話がズレちゃいましたが、何が言いたいかって言うと、
言語ってコミュニケーションツールなんだから通じれば何でも良いよ。発音とか文法とか気にすんな
ってことです。
ただ勘違いしないで欲しいのは、発音とか文法は必要ない!って言いたいわけじゃないってことです。
発音も文法ももちろん大事で勉強は必要です。
だってそれがめちゃくちゃで相手に伝わらなければツールの意味をなしてないですから。
ただ必要以上に気にして喋らないっていうのは勿体無いし、そもそも上達しないですよ。ってことです。