初めて祖父を亡くして、今一度考えた事

2013.01.08 / その他

どうもこんばんわ、ゆうたです。

2013年1月2日、父方の祖父が亡くなり初七日法要が終わるまでバタバタしてましたが、無事葬儀などが終わり、心身ともに復活してきたので、この今の気持ちをブログに綴ってみたいと思います。

文章構成も何も考えず、ただただ思うがままに書く文章ですので読みにくい部分もあるかもしれませんが、読んでみて、少しでも共感していただけたら幸いです。

それでは、どうぞ。

いきなりですが、私は今まで自分に近い家族を失ったことがありません。父も母も生きてますし、先日まで両方の祖父祖母も生きていました。なので今回祖父が亡くなったというのは、私の中では「祖父が亡くなった」ということに加え「初めて近い親族が亡くなった」ということでもありました。

亡くなった祖父は長年教育に命を捧げてきた人で、教員から教育委員会へ進み、次長まで上り詰めたあとは学校の校長先生をしていました。教育に対する貢献で天皇から勲章をもらったこともあったほどです。それほど教育に力を注いでいた祖父でしたが、僕には一切厳しい事をいわず、ただただ優しいお爺ちゃんでした。

小学校ぐらいまでは毎週のように家に遊びに行き、一緒にご飯を食べたり、休みの日には映画を見に行ったり、楽しい日々を過ごしました。それが、私が留学してアメリカに行った頃からでしょうか、一時帰国して日本にいる時もほとんど行くことはなくなり、たまーにかかってくる電話も数分喋って終わり。
アメリカの大学を卒業して帰国し、就職したあとでもそれは変わらず、疎遠な日々が続いていました。

そんな祖父が去年の9月頃に癌と発覚。末期状態だったためお医者さんには余命は今年いっぱい、との宣告をされました。その頃からでしょうか、私は妻の後押しもあり、残される祖母のサポート、そして病気の祖父のサポートをしようと決心しました。妻が医療系の仕事をしている為、妻に協力をしてもらいながら、それこそ今まで疎遠だった分を返すかのように、精一杯サポートしました。

そして今年の1月2日未明、祖父は他界しました。

期間にして約3~4ヶ月。何年も疎遠だったのに、サポート出来たのは最後の数ヶ月だけ。

「こういうのは何をどれだけの期間やったって悔いが残るものだよ」

そう周りは私に言います。

本当にその通りで、あの時ああしとけばよかった、この時はこうしとけばよかった、そんな想いが頭をグルグルと回っています。

だからこそ、毎日の当たり前の日々がどれだけ尊くて大切なモノなのか、実感しました。
よく「今日が人生最後の日だと思って行動しよう」なんて言いますし、それを実践するために日記を書いたり、ライフログを記録したり、「今日という日と同じ日はないんだから」という想いを持って行動をしていました。

いや、していた「つもり」でした。頭では理解してしていても、心では理解していなかった。

祖父を亡くした今、そう思います。

大学生の頃心理学の授業で教授が

「人間が成長するのはいつだと思う?それは”新たな目”を持つ時だよ」

そう教えてくれました。”新たな目”とは、新しい目線。つまり、「その立場になってみて見える、わかるもの」ということです。

昔から良く「親になったらわかるよ」とか「お前も年をとったらわかるよ」とかよく言われませんでしたか?あれです。

祖父を亡くした今回、このことを改めて再認識しました。

今までの私は「祖父を、親しい親族を亡くした」という”目”を持っていませんでしたが、今回その”目”を持つことが出来ました。

そして、その”新しい目”のおかげで、何気ない日々の大切さを本当の意味で理解出来ました。

そう思うとこの祖父の死は、教育に命を捧げ、ただただ優しかった私への、最初で最後の”教え”だったのかなぁ?と、そう思うようにしています。

あとがき

このブログ記事は今でも自主的に読み返すようにしています。

やっぱり人間の記憶はだんだんと薄れていくものだから・・・そう思うと当時の純粋の気持ちをすぐに文章に書けて、それを残せるブログってのは偉大だなぁ、と感じます。

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