高校大学と7年間アメリカの学校に通ってました、ゆうたです。
中学校二年生の夏休みに留学を志す体験をした私は、中学校3年生の夏休みを利用して1ヶ月間の”サマーキャンプ”に参加することにしました。
夏休みの間に学校を利用して勉強を行う”サマースクール”とは違い、”サマーキャンプ”では学校を利用して学校内で色んなアクティビティを体験したりします。
スクールではない為勉強はない代わりにアクテビティを通じて英語にも触れられ、海外での生活を体験出来るとあって参加を決めたのが理由でした。
今回決めたのはアリゾナ州の砂漠のど真ん中にある
“The Orme School”
という高校。
周囲にはコンビニやファーストフード店など全くなく、学校内で全ての生活を行う場所。これは海外生活には慣れる為にはピッタリだと決め、夏休みに一人でアリゾナまで行く計画をたてました。
初めての海外一人旅
サマーキャンプに参加するのはもちろん私一人だけ。
親元を離れ参加するのですから、アリゾナの現地まで行くのも一人で行きます。
一番最初の予定ではアリゾナ州のフェニックスという町の空港までは
成田 → サンフランシスコ → フェニックス
現地には昼の12時頃着。
空港には現地の学校の先生が迎えに来てくれる予定でした。
それがとあるトラブルから
成田 → サンフランシスコ → ラスベガス → フェニックス
で行くことになり、しかも到着は夜中の12時というとんでもない結果に。
なぜ当初の計画が崩れてこんなとんでもない結果になってしまったのか。 そして今から考えてみれば
と自画自賛したくなる話を書いていきます。
え?飛行機飛ばないの?
当初の予定では成田空港のゲートまで父親と母親に見送りに来てもらい、そこからの一人の行動は全て紙に書き込み、空港内の地図まで取り寄せてスムーズに計画が進むように準備していました。
何せ一人の海外旅行 + 一人でトランスファー(空港を経由して目的に行くこと)まで経験しなくてはいけないので、何かあってはいけないと準備したのです。
そして準備万端で臨んだ当日。国際線に入るゲートまで父親と母親に見送られ、私は一人で飛行機に乗り込みました。
成田からサンフランシスコまでは順調(飛行機に乗ってるだけですし)。
サンフランシスコに到着したら、準備した地図通りに進み、ゲートを確認、アリゾナに向かうゲートに到着。
なんか人が少ないような気もするけど、到着したのは離陸の1時間前。
と本を読みならが待つ……
しかし、待っても待っても乗客が来ない。
というか乗客どころか働くスタッフの人たちさえ来ない。
そして離陸の予定時間が過ぎ、
と悟った私は勇気を振り絞り、隣のゲートにいたスタッフの人に単語つなぎの英語で
と聞きました。
すると、
とあっさり返答。
というかまず乗客皆どこ行ったんだ!?
キャンセルとか知ってたのか?
俺どうすればいいんだ!?
アリゾナに行けないぞ!?
一瞬で色んな聞きたいことが頭で浮かびながらも、英語がほとんど喋れない私はとりあえず
いや、全然OKじゃねーよ。
さて、これからどうする?
さて、カッコつけて「Thank you」とか言ってその場を立ち去ったものの、自体は何も解決していません。
とりあえずアリゾナに行かなくてはいけない。
どうやって行けばいいのか?
そしてトランスファーでそのままアリゾナまで行くはずだった預けた荷物はどうなったのか?
それらを聞くために、誰もいないゲートで辞書を開き、単語を並べながら文章を紙に書いていく私。
出来上がった幾つかの質問集。
これを持って再度ゲートにいるスタッフの所へ。
アリゾナまででしたらラスベガス経由で到着することが出来ますね。
手配致しましょうか?
あとさっきの便に乗せるはずだった私の荷物はどうなりましたか?
驚くほどスムーズに会話が進み、トントン拍子に解決。
やった!やったぜ!勇気振り絞って行動すればどうにかなるじゃないか!と安心する私。
しかし、ラスベガス経由か・・・・こんな形で人生初のラスベガスに行くなんて想像もしてなかったなー、まぁこれもいい経験だな! なんて呑気に考えていました。
この時は。 想像していなかったんです、このあとラスベガスでまたトラブルに巻き込まれるっていうことに…… つづく
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